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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)8952号 判決

原告 矢野智

右訴訟代理人弁護士 芦田直衛

被告 松本誠

被告 福本孝

右被告両名訴訟代理人弁護士 川又次男

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

被告等は各自原告に対し金二〇六万一、五七〇円およびこれに対する昭和四五年六月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする。

仮執行宣言

二  被告等

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  原告(請求原因)

(一)  原告および訴外株式会社どん底は、昭和三二年九月一八日訴外中川肇より東京都中央区銀座五丁目四番地所在の三階建店舗一棟を賃借し、以後これを占有していたが、昭和四三年一一月一六日原告は被告松本に対し、右建物一階約二六・四四平方メートル(以下「本件建物」という。)を賃料月額一〇万円、毎月末日限り翌月分を支払う約で転貸し、その後被告松本は本件建物を被告福本に再転貸した。

(二)  ところが、被告松本は昭和四四年五月分以降昭和四五年三月分の賃料合計一一〇万円を支払わなかったので、原告は昭和四五年二月二六日付内容証明郵便をもって被告松本に対し、右延滞賃料を右郵便到達後五日以内に支払うべく催告するとともに、もし該期間内に支払わないときは本件建物の転貸借契約を解除する旨の意思表示を発し、右はその頃被告松本に到達したが、被告松本は支払をしなかったので、おそくとも昭和四五年三月五日限り本件建物の転貸借契約は解除され、被告松本およびその履行補助者たる被告福本は原告に対し本件建物の明渡義務を負担するに至った。

(三)  ところが、昭和四五年五月六日午前零時三八分頃、被告福本のたばこの残火の不始末から本件建物に火災が発生し、本件建物を全焼させた。右は被告等が善良な管理者の注意をもって本件建物を保管する義務に違背したものであるから、被告等は原告に対し原告の蒙った損害を賠償する義務がある。

仮に被告等の責に帰すべからざる事由により右火災が発生したとしても、前述のとおり被告等は本件建物明渡義務を負担していたものであるところ、右義務の履行を遅滞している間に右火災が発生し、本件建物を全焼させたものであるから、被告等はこれによって原告の蒙った損害を賠償する義務がある。

(四)  原告の損害は次のとおりである。

1 原告は訴外中川より右火災を理由に前記三階建店舗の賃貸借契約を解除され、時価二〇〇万円相当の賃借権を喪失した。

2 原告は右火災のためクーラー等電気器具に生じた被害を修理するため一五万七、四〇〇円を支出した。

(五)  原告は昭和四五年五月五日以前にかかる本件建物の電気料一万七、五〇三円を被告等のために立替支払った。

(六)1  以上の次第で原告は被告等各自に対し左記金員の支払請求権を有する。

(1) 賃料 一〇一万六、六六七円

原告は被告松本に対し昭和四四年五月一日より昭和四五年三月五日までの間一か月一〇万円の割合による転貸料、被告福本に対し同額の再転貸料債権を有する。

(2) 賃料相当額の損害金 二〇万円

原告は被告等各自に対し昭和四五年三月六日以降同年五月五日までの間一か月一〇万円の割合による賃料相当額の損害金債権を有する。

(3) 賃借権喪失および電気器具修理による損害賠償金二一七万七、四〇〇円

(4) 電気料立替金 一万七、五〇三円

2  右1の(1)ないし(4)の合計は三四一万一、五七〇円となるところ、原告は被告松本に本件建物を転貸するに際し、同被告より保証金として一五〇万円を、本件建物明渡完了後三か月を経過したとき一割を控除した残額(一三五万円)を返還する約で預託を受けていたので、昭和四九年九月一七日本件第一四回口頭弁論期日において被告松本に対し、前記原告の有する債権をもって右一三五万円の保証金債権と対等額で相殺する旨の意思表示をしたから、原告の被告等に対する債権残額は二〇六万一、五七〇円となった。

3  よって原告は被告等各自に対し二〇六万一、五七〇円およびこれに対する弁済期の経過した後である昭和四五年六月一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求する。

二  被告等(請求原因に対する認否)

(一)  請求原因第一項の事実中、原告および訴外株式会社どん底が本件建物を含む原告主張の三階建店舗を占有していたこと、昭和四三年一一月一六日原告が被告松本に対し本件建物を原告主張の約束で転貸したことは認めるが、訴外中川と原告および株式会社どん底との賃貸借契約は不知、その余の事実は否認する。被告福本は被告松本の使用人であって、本件建物について独立の権限を有していなかったものである。

(二)  同第二項の事実中、被告松本が原告主張の賃料を支払わなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三)  同第三項の事実中、原告主張の日時に本件建物に火災が発生したことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告福本は被告松本の被用者として本件建物におけるバー「ロザンヌ」の経営に従事していたが、昭和四五年五月三日から同月五日までは連休のため閉店し、同被告および従業員とも来店しなかった。前記火災は同被告の留守中、なんびとかの放火によって発生したものであり、同被告は右火災発生直後逗子市内のスナック「識」(被告松本経営)において原告の電話を受けて右火災を知った次第である。被告福本は昭和四五年五月五日午後六時頃から右「識」で勤務中であった。

また、本件建物焼燬の程度も椅子数個、天井、壁の一部を焼いただけで、全焼ではなかった。

(四)  同第四項の事実は否認する。

原告の賃借権喪失は前記火災によるものではない。原告が訴外中川に無断で本件建物を含む三階建店舗を増改築し、かつ転貸していたので、出火を機会に賃貸借契約の解除を迫られ、原告自らの意思により和解により賃借権を消滅させたものである。

また、原告主張の電気器具修理代金の中には、本件建物の出火とまったく関係のない訴外坂田商会に対する支払分一二万三、四〇〇円が含まれている。

(五)  同第五項の事実は否認する。

(六)  同第六項の1は争う。同項の2の事実中、被告松本が原告に対し保証金一五〇万円を原告主張のような約定で預託したことは認めるが、原告の債権残額については争う。

原告主張の本訴債権のうち、賃借権喪失による損害二〇〇万円および電気器具修理代のうち訴外坂田商会に対する支払分一二万三、四〇〇円の請求権は相殺の自動債権から除かれるべきであり、残るのは賃料および賃料相当額の損害金一二一万六、六六七円、電気器具修理代の残額五万四、〇〇〇円、電気料立替金一万七、五〇三円以上合計一二八万八、一七〇円となるところ、原告の相殺の意思表示によって右合計一二八万八、一七〇円の債権も全額消滅したから、被告等が原告に対し支払うべき債務は存在しない。

三  被告等(抗弁)

(一)  被告松本が昭和四四年五月分以降の賃料を支払わなかったのは、原告が同被告との間で、本件建物における原告名義の風俗営業証可を昭和四四年三月以降は同被告名義に変更することを約束したにも拘わらず、右期限が到来しても同被告名義に変更しなかったからである。

(二)  仮に被告等が本件建物の明渡義務の履行を遅滞している間に、本件火災の発生により本件建物が焼燬したとしても、本件火災は放火によって発生したものであるから、被告等が本件建物の明渡義務を遅滞なく履行していたとしても、本件火災による建物の焼燬は免れなかったものである。被告等に火災による損害賠償の義務はない。

四  原告(抗弁に対する認否)

抗弁事実はいずれも否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  本件建物の貸借関係

≪証拠省略≫によると、原告は昭和三二年九月一八日訴外中川肇から東京都中央区銀座五丁目四番地所在木造瓦葺二階建居宅床面積一階八坪二階八坪を賃借したが、その後間もなく訴外中川の承諾を得て右建物を原告主張の三階建店舗(現在の所在銀座五丁目六番六号)に改築し、これを賃貸借の目的としたことが認められる。そして原告および訴外株式会社どん底が本件建物を含む右三階建店舗を占有していたこと、昭和四三年一一月一六日原告が被告松本に対し本件建物を賃料月額一〇万円、毎月末日限り翌月分を支払う約束で転貸したことについては当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば右転貸借は訴外中川の承諾を得てなされたものであること、被告松本は従前原告が本件建物においてなしていたのと同一のバー営業を、同一の「ロザンヌ」の商号で開始したが、その経営は従業員たる被告福本に担当させ、被告福本は被告松本から給料の支給を受けて、仕入、支払等の金銭出納、顧客の接待等バー営業の一切をとりしきってきたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告は被告松本が被告福本に対し本件建物を再転貸したと主張するが、右主張を肯認するに足る証拠はない。

二  転貸借契約の解除の成否

(一)  被告松本が昭和四四年五月分以降同四五年三月分の賃料合計一一〇万円を支払わなかったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すれば、原告が昭和四五年二月二六日付内容証明郵便をもって被告松本に対し右延滞賃料を右郵便到達後五日以内に支払うべく催告するとともに、期限内に支払わなかったときは本件建物の転貸借契約を解除する旨の意思表示を発し、右意思表示はその頃被告松本に到達したこと、また原告は電話で何度も賃料支払につき代理権を有する被告福本に延滞賃料の支払を催告していたこと、しかるに被告等はいずれも支払をしなかったことの各事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(二)  被告等は原告が本件建物における営業名義の変更義務を履行しないので賃料を支払わなかったと主張する。≪証拠省略≫によれば、本件建物の転貸借契約が成立した昭和四三年一一月当時原告は本件建物におけるバー営業につき東京都公安委員会から簡易料理店風俗営業許可を受けており、右許可は更新を要せず存続するものであったが、原告と被告松本との間では、おって被告松本の名義で許可を受けることとし、原告はこれに協力することが約束されたこと、その場合建物の所有者の家屋使用承諾書を提出することが必要とされていたので、被告松本に代って被告福本が原告との間で訴外中川の承諾書を入手するための折衝を行ったが、はかばかしくことが運ばなかったことが認められる。しかし、被告松本および同人から経営を委ねられた被告福本が従来原告の許可名義で営業を継続するにつき著るしい支障を生じたことが認められない本件において、原告が被告松本名義で許可を受けるについてなすべき協力に欠けるところがあったとしても、その故に賃借人の基本的義務たる賃料の支払を怠ったことを正当視することはできない。従って、被告等の抗弁は採用することはできない。

(三)  そうすれば、おそくとも右内容証明郵便が到達した後である昭和四五年三月五日には原告と被告松本間の本件建物の転貸借契約は解除されたものというべく、被告松本は原告に対し本件建物の明渡義務を負担するに至ったものということができる。

三  出火の原因および責任

(一)  昭和四五年五月六日午前零時三八分頃、本件建物に火災が発生したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、本件建物の焼燬の程度は椅子数個、天井、壁の一部および壁に取付けてあるボトルケースを焼いたものであったことが認められる。

(二)  そこで出火の責任について検討する。

≪証拠省略≫を総合すれば、本件火災は本件建物内に侵入したなんびとかの放火によって発生したものであること、被告福本は出火前の五月二日は営業したが、午後一一時頃には暖炉、ガスコンロ、照明用ローソク等火の元の点検を済ませ、本件建物の入口に施錠して従業員とともに帰ったこと、同被告は五月三日から同月五日までは、連休のためバー「ロザンヌ」の営業を休業し、同被告および従業員ともに来店しなかったこと、同被告は五月五日午後六時頃から逗子市内のスナック「識」(被告松本経営)で勤務しており、同所で原告からの電話を受けてはじめて本件火災を知ったこと、本件建物を含む三階建店舗は二階スナック、三階バーといずれも飲食店であり、歓楽街に在るとはいえ日曜祭日の夜間の人通りも少なく、出火当時いずれの店舗も休業していたこと、そして、右三店舗とも夜間営業していない時は全くの無人となること(本件建物は以前どろぼうに入られたことがあること)が認められる。

以上認定の事実によれば、本件火災は、本件建物の返還義務者として返還の時まで本件建物を善良な管理者の注意をもって保管すべき義務ある被告松本および転貸借継続中現実に本件建物を使用管理し、右義務につき同被告の履行補助者と目すべき被告福本のいずれの責にも帰すべからざる事由によって発生したものとすべきである。

(三)  なるほど、本件火災は被告松本が本件建物明渡義務の履行を遅滞している間に発生し、これがため明渡義務ないし保管義務のすくなくとも一部の履行不能を招来したものであることは否定できない。そして、一般に履行遅滞発生後は債務者は事変に対してもその責に任ずるのを原則とするが、債務者が適法な時期に債務を履行してもなお債権者に損害が発生したであろうことを証明した場合においては責任を負わないと解するのが相当である。けだし、適法の時期に履行した場合になお損害が発生したであろうことが明らかな場合には、遅滞がなくても損害は発生したのであるから、当該損害と遅滞との間には因果関係がないものとすべきだからである。本件において、先に認定した本件建物の出火原因、本件建物の性質、用途に照して考えると、たとえ被告松本が昭和四五年三月五日本件建物転貸借契約終了後遅滞なく明渡義務を履行して原告に引渡しを完了し、爾後原告が本件建物を管理支配していたとしても、当該管理が放火を絶対に許さない完璧なものでありえたとの特段の事情も認められない以上、やはり本件出火は免れ得なかったであろうことは推認するに難くないから、被告松本は本件火災により原告の蒙った損害につき賠償責任を負わないとすべきである。被告福本は被告松本の債務の履行補助者であるから、その法的地位の故に、独立に債務不履行責任を問うことは許されないといわなければならない。

四  原告主張の請求権の有無

(一)  賃借契約喪失および電気器具修理による損害賠償金二一七万七、四〇〇円

前記三で判示したように被告等は本件火災による損害について責任を負わないから、原告の標記損害の賠償請求は理由がない。

(二)  電気料立替金 一万七、五〇三円

原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和四五年五月五日以前にかかる本件建物の電気料一万七、五〇三円を立替支払ったことが認められ、右立替は本件建物の転貸借契約に関連してなされたものであるから、契約当事者たる被告松本のためになされたものと推認すべく、右認定を覆すに足りる証拠はない。従って、原告は被告松本に対しその償還を請求する権利があるが、被告福本に対しても右権利を有するものとは考えられない。

(三)  賃料および損害金 一二一万六、六六七円

前判示のように被告松本は昭和四四年五月分から昭和四五年三月五日までの月額一〇万円の割合による賃料を支払っておらず、昭和四五年三月五日には本件建物の転貸借契約が解除されているから、この間の延滞賃料は昭和四四年五月分から同四五年二月分までの一〇か月分および同年三月の五日分合計一〇一万六、一二九円となる。また、被告松本は賃貸借終了後の昭和四五年三月六日から本件建物出火の日の前日である昭和四五年五月五日まで本件建物明渡義務の履行を遅延したから、これにより原告に対し一か月一〇万円の割合による賃料相当の損害金二〇万円の支払義務がある。被告福本は履行補助者にすぎないから叙上の延滞賃料および損害金の支払義務を負わない。

(四)  以上認定の事実によると、結局、原告は被告松本に対し賃料一〇一万六、一二九円、使用損害金二〇万円、電気料立替金一万七、五〇三円合計一二三万三、六三二円の支払請求権を有するものと認められるが、被告福本に対し原告主張の請求権があることは肯認できない。

五  相殺

(一)  被告松本が本件建物を賃借するに際し、原告に保証金として一五〇万円を、本件建物明渡完了後三か月を経過したとき一割を控除した残額(一三五万円)を返還してもらう約束で預託したことは当事者間に争いがない。

(二)  原告が昭和四九年九月一七日本件第一四回口頭弁論期日において被告松本に対し、原告の同被告に対する本訴債権をもって前記一三五万円の保証金返還債務と対等額で相殺する旨の意思表示をしたことは訴訟上明らかである。

(三)  してみると、原告の被告松本に対する請求権は前記のように一二三万三、六三二円であるところ、保証金返還債務は一三五万円であるから、原告の被告松本に対する請求権は前記相殺により全額消滅したものというべきである。

六  結論

以上の次第で原告の被告等に対する本訴請求はいずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 蕪山厳)

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